翼はもうはばたかない
その14



















今の自分はきっと生きていない 死んでいないだけ






















「ハク! こっちの手配はどうなってるんだい!?」

「それは既に手配済みです。こちらは決済を頂かないと無理ですが」

湯婆婆との話を終え、ハクは「それでは」と挨拶して部屋を出ようときびすを返した。

「そうそう、ハク」

湯婆婆の言葉にハクは振り返った。

「‥‥‥‥何でしょう」

「この前来た客からある事を聞いたんだが‥‥聞きたくはないかい?」

薄笑いを浮かべている湯婆婆に、いやな予感を感じる。

しかしそれをおくびにも見せず、ハクは淡々と答えた。

「言うのでしたらもったいぶらずにおっしゃって頂きたいのですが。仕事が残っていますので」

湯婆婆につき合っている暇はない、とばかりに部屋を去ろうとしたハクは

「千の事だよ」

その言葉に初めて狼狽の色を見せた。

「‥‥ようやく動揺したねぇ」

湯婆婆はそんなハクを面白そうに眺めていた。








「‥‥今更千の事を聞いても‥‥私はもうあの子とは関係ありませんから」

狼狽の色を何とか隠し、ハクは淡々とそれだけを告げた。

早くここから出なければ。

湯婆婆のあの意地悪い笑みは、きっと良くない事。

なのに、足が動かない。

湯婆婆が魔法をかけてしまったかのように、体が全く動かない。

「そうお言いでないよ。千がどうなったか‥‥教えてやるよ。気になっていただろう?」

「湯婆婆さま!!」

ハクの声にも構わず、湯婆婆はただ現実を告げた。


「千は‥‥千尋は、死んだそうだよ。ついこの間ね」














――――数年前から突然病にかかり、ずっと伏せっていたらしい。

――――それが、今年に入っていきなり病状が悪化し、治療の甲斐なく亡くなったそうだ。

――――まだ30にもならず、結婚もしない前の突然の死に、両親は生気をなくしてしまっているとか。

そんな湯婆婆の説明も、今のハクの耳には全く入っては来なかった。

















どうやって湯婆婆の部屋を出たのか覚えていない。

気がつけば、ハクは釜爺のいるボイラー室へ続く扉の前に立っていた。

震える手で扉をあける。



キィィィ‥‥‥というきしむ音にまず気がついたのは、ススワタリ達だった。

チィチィ、という声に導かれるように中に入る。



「‥‥おお、ハクか。どうかしたか?」

釜爺が薬草を煎じる手を止めてハクに視線を向けた。

「‥‥‥‥ハク?」

釜爺が不審をあらわにして問い直す。

ハクは、ただそこに立っていた。

尋常でないハクの様子に、釜爺が台から降りてハクに近寄る。

「どうした‥‥何かあったか?」

「―――――千尋が‥‥」

「千尋が?」

「‥‥‥死んだ」

それだけを口にした瞬間

ハクの翡翠色の瞳から、涙がこぼれ落ちた。







――――モウ アエナイ

――――コエヲ キクコトモナイ

――――ダキシメルコトモ モウ デキナイ







心の何処かでは願っていた

いつか――――きっと、千尋とまた会えると

いつかきっと、また会える時が来ると



それももう叶わない








気が狂ってしまえたらどんなにか楽だろう

神としての力も、寿命も、何も意味を為さない

ハクは、湯屋に戻って来てから初めて涙を落とした。

釜爺はただただ黙って、ハクの背中を撫でていた。













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