翼はもうはばたかない
その25



















どこまでが自分で どこまでが他人なのか
誰が境界線を決められるだろう






















ハクは出血こそ酷いものの魔法による怪我ではなかったので、安静にしていれば数日後には動けるようになる。

それが薬草にも秀でている釜爺の見立てだった。

千裕はハクの枕元に座っていた。

「目が覚めた時にそばにいてあげたいの‥‥いいでしょう?」

「そりゃかまわんが‥‥」

枕元に座ってじっとハクを見つめている千裕は、釜爺にいつぞやの出来事を思い出させた。



魔法の傷の為に弱っていたハクを、ボイラー室でこうやって看病していた事があった。

あれももう遠い昔の話。

そしてここにいる少女は、あの時の少女ではない。

「後は頼む」

そう釜爺は言い残して、自分の部屋に戻る為に去っていった。








シ‥ン‥‥とした静寂があたりに満ちている。

千裕は正座したまま青ざめたハクの寝顔をじっと見ていた。

こうしてハクの容態を気にかけた事は、覚えている。

正確には、千尋が覚えている「記憶」。



自分の気持ちすらも、もしかしたら千尋に支配されているのではないか。

そんな迷いが浮かんでは消え、千裕を苦しめる。


私は、私なのに。






すっ‥‥と障子の開く音で、千裕ははっと我に返った。

「‥‥どうだ? ハクの様子」

リンが顔を出した。

「あ‥‥もう手当はしたから、大丈夫‥‥‥」

嫌っていると言いつつも、こうして様子を見に来たりするところが、リンの優しいところだ。

リンはハクを覗き込んだ。

「‥‥落ち着いてるっぽいな」

「魔法の傷じゃないから、癒えるのも早いだろうって」

「そっか」

リンは満足そうに頷くと、千裕の頭をくしゃ‥と撫でた。

「大変だったな」

リンは優しい。

でもこの優しさも、自分が千尋に似ているからじゃないか‥‥と変な勘ぐりまでしてしまう。



「‥‥ねぇ、リンさん」

「なに?」

ハクの顔を見ていたリンが、千裕に向き直る。

「‥‥どうして、私を助けてくれたの?」

「‥‥はぁ?」

リンは本当にびっくりしたようで、目をまん丸にして千裕を見つめた。

「どうしてって‥‥」

「私が‥‥昔いた、その、千て人に、似ているからじゃないの?」

「はぁ?」

今度の声は、千裕の言葉を理解した為のもの。

「当然よ‥‥私、私‥‥千尋の生まれ変わりなんだもの。似てて当然よ。でも‥‥でも、私は千尋じゃない! 荻野千尋はもう死んだんだもの!」






私の中で、千尋がどんどん大きくなってきて

いずれは神原千裕という存在はいなくなってしまうんじゃないだろうか

幼い頃から抱いていた不安

そしてそれは――――ハクが決して自分を「千裕」として見ない事でより膨らんできている







リンがくしゃ‥‥と千裕の頭を撫でた。

優しく、宥めるように。

「その‥‥オレは生まれ変わりとか良くわかんねぇけどさ。生まれ変わったって事は、おまえってやっぱり「千」なんじゃねえの? なんで切り離そうとするんだ?」



「‥‥え‥‥」



涙を浮かべていた千裕は、その顔のままリンを見つめた。

「昨日の自分と今日の自分って、他人か?」

反対に問われて、千裕はぶんぶんと首を横に振った。

「それと同じだろ。そう難しく考える事ぁないさ」

もう一度くしゃくしゃと撫でられて、千裕は曖昧に頷きを返した。










昨日の自分と今日の自分

今日の自分と明日の自分

10年前の自分と今の自分

これをまさか他人だと言う人はいないだろう。


それと同じ?



過去の「千尋」としてのわたし

現在の「千裕」としてのわたし


感じ方が違っても、同じ――――?













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