翼はもうはばたかない
その31



















私の手をすりぬけていく 大切なもの






















「‥‥ねぇ、ハク‥」

「‥‥ん?」

千裕の呼ぶ声に、ハクは身を乗り出した。

一時とて千裕のそばから離れていたくなくて、ハクは時間さえあれば千裕の所に顔出しをしていた。

ハクを呼ぶ声にも、もうかつての力はない。

「‥‥待ってて、くれる?」

「何‥を?」

「だから‥‥‥私が、あなたの元に還る時を」

「‥‥‥っ」

ハクはすぐに答えを返せなかった。

―――答えは決まっている。

だけど。

「‥‥どうして、そんな事を‥‥」

千裕はふっ‥と微笑みを浮かべた。

「もう‥‥あんまり時間が、ないから」

「千裕‥そんな弱気な事を言っていたら駄目だ」

「ううん‥‥」

千裕は何かを思い出すように目を閉じて―――そして再び開けた。

「‥‥約束。必ず‥還るから。だから‥‥待ってて」

微笑んでいる千裕は、もう分かっているのだろう。

時が、ないことを。

それはハクも理解していた。

理解していて―――認めたくなかった。

ここで答えてしまえば、そのまま千裕がいなくなってしまうのを認めてしまうような気がして。

我ながら子供じみていると思っていても、どうしても言えない。

「‥‥ハク‥」

答えようとしないハクに、千裕は苦笑した。

「すぐ‥だから。あの時‥私は、あなたの所に戻るのに時間がかかってしまった。けど‥もう大丈夫。迷わないから‥‥ハクが、約束してくれれば、すぐに戻れるから‥‥」

浅い息を何度も繰り返して、千裕が言葉を紡ぐ。

そのたびに、彼女の命が失われていく。

「だから‥‥」

「分かった。約束する‥‥だから、もう喋っては駄目だ」

ハクは千裕の言葉を遮り、そっと彼女の前髪を撫でた。

「少し‥休みなさい。そんなに喋っては、体に障る」

千裕はこくっと頷くと、目を閉じた。

「―――約束、よ。‥‥待ってて、ね」










その言葉を残して、ほどなく。

―――そのまま、千裕は還らぬ人となった。





ハクは再び独りになった。











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