翼はもうはばたかない
その35
ゆっくりと確実に 終焉が訪れる |
それからハクは暫く銭婆の家に通っていた。 千尋のこれからを色々と模索するためである。 「色々調べてみたんだが、こういう方法はどうかと思うんだよ」 銭婆が切り出した方法はこうだった。 千尋はまだ10歳だが、そう遠くない未来に衰弱死するであろう事は分かっている。 その時に全ての呪縛から解き放つ儀式を行う。 そうする事で魂にかけられた呪縛を取り除き、千尋の魂をあるべき道へ、歩むべき方向へと戻す事が出来る。 そして――――次に生まれて来た時には、まっさらな魂として、生きる事が出来るだろう、と。 「――――分かりました」 ハクは頷いた。 「千尋がそれを望んでいるのですから‥‥私が反対する理由はありません」 それが心からの本心ではない事は銭婆にも分かったが、敢えてそれに触れるような事はしなかった。 「なら、その様に話を進めて行く事にするよ。なに‥‥千尋の時間が短いとはいえど、思い出を作るには十分な時間が残されているよ。今を楽しみな」 慰めの言葉に、ハクは曖昧に微笑むだけだった。 「見て見て、ハクー!! チョウチョ!! まだ寒いのに、もう羽化してるんだねぇ!」 まだ肌寒く、花もちらほらしか咲いていない時期であるのに、蝶が飛んでいる。 はしゃいでいる千尋は年齢相応で、自分までもがその時間に引き戻されるようだ。 湯屋で再会したばかりのあの頃、こんな思いを抱くなど誰が思っただろう。 「花に止まった止まったっ。蜜吸ってるのかなぁ」 千尋が蝶を驚かせないように、そぅっとかがみ込んで覗き込む。 「あ‥‥‥」 いくらそうっと近寄っても、やはり千尋のような人間が近づいた事に驚いたのか、蝶はふわふわと飛んでいってしまった。 「あーあ、逃げちゃった‥‥‥」 「仕方ないよ。虫たちは人間には慣れないからね」 千尋は未練がましく蝶を見送っていたが、やがて振り返った。 「この世界にいる人間は、私だけなんだよね?」 「え? あ、ああ‥‥その筈だよ。普通は人間は皆湯婆婆によって豚にされてしまうから」 「そっかぁ‥‥」 千尋は腕を後ろで組んで、何やら考え込んでいる。 「‥‥千尋?」 「ん? 考えてたの。私、どうやってハクの所まで帰ればいいかなぁって。ハクはもう私の世界に来る事は出来ない訳だから、私が来るしかないのよね。でも来たとたんに湯婆婆に豚にされちゃったらどうしようって」 「千尋‥‥‥」 「ハク、ちゃんと私を見つけてくれる? 私豚になって食べられちゃうの、絶対にヤだから」 ハクは、まだ自分の胸までしかない千尋の体をそっと抱きしめた。 「ハク?」 「そなたがこちらに戻って来たら、必ず私が見つけるから安心しなさい。だからそなたは、この世界に戻ってくる事だけを考えていればいい」 ぎゅっ‥と抱きしめてくるハクの腕の力を感じて、千尋はただ「うん」とだけ答えを返した。 今話した事も、思い出も、今度は持っていく事が出来ない。 全て忘れてしまう。 だけど、この想いだけは、持っていく。 ―――――必ず。 |