桜の幻影
その3
「何故、千尋の体を乗っ取っている? すぐ離れろ」 『……ワタシ ハ タダ 戻リタイ ダケ……』 「戻りたい?」 千尋の声で無機質に語られる姿は不気味なものがある。 『ワタシ モ 元ハ 人間 ダッタ。戻リタイ……人間ダッタ アノ頃ニ……』 大体の事は理解出来た。 千尋の体を乗っ取った「それ」は、元々は人間。 おそらく引き込まれたとか……何かの理由でこの桜に同化してしまったのだろう。 人間に戻りたい、その一心がこの桜に異変を起こさせた。 そして千尋は湯屋に受け入れられただけあって、そういうものを受け入れやすい体質である。 ――――しかし。 「既に精霊と化したそなたが人間に戻るのは不可能だ。それに千尋の体にいつまでもいれば、良いことにはならない。すぐに出ていけ」 『戻リタイ……』 妄執に囚われかけているそれは、ハクの言葉も耳には入っていないようだ。 ―――強引に、消すか。 どんな呪文を使えばいいか――――と目測を測っていたその時。 ――――ダメだよ、ハク! ハクの脳裏に、唐突に千尋の声が響いた。 「……千尋?」 ――――この人はね、恋人がいたの。だから凄く未練を持っているんだよ。消しちゃったら可哀想だよ! 千尋が訴えてくるのが、聞こえてくる。 精霊に取り込まれてもまだ意識を保つ事が出来るのか。 ただの人間でしかない千尋にそんな力がある筈が――――― と考えていたハクは、はっと千尋に視線を向けた。 千尋の髪留めが、淡く光を放っている。 「……あれか…」 髪留めの魔力は、まだ生きている。 銭婆がカオナシと、坊と、そして銭婆自身の思いを込めて編み上げた髪留め。 それが千尋を守っているのだ。 本来ならば精霊と同化してしまう筈の千尋の精神を、守っている。 とはいえど所詮は髪留め。 そう長い間守りきれるとも思えない。 「しかし……」 ――――思いを遂げさせてあげたら、きっと消えると思うの。だから手伝って欲しいんだ、ハク。 千尋は甘い。 「……千尋を危険な目に遭わせる訳には……」 ――――私なら大丈夫だから! だから、ハク、お願い。 懇願されるように言われると、ハクとしてもそれ以上無理強いは出来なくなる。 千尋の意志を無視して事を運べば、千尋の精神自体に傷がつく可能性もある。 「……分かったよ」 ハクは仕方なくその申し出を受け入れたのだった。 |