桜の幻影
その4
千尋(に憑依した精霊)はじっとハクを見つめている。 どうやらハクが協力してくれる事をおぼろげにも理解したらしい。 「じっとしていて」 ハクはその桜の幹に手を当てた。 ―――何を、するの? 「精霊が千尋に憑依したといっても、この桜の樹が本体には変わりない。記憶を探る」 ―――記憶を? 手を当てたままハクは目を閉じて、精神を集中し始めた。 人間の記憶を探るのは訳ない。 だが精霊の記憶を探るというのはハクも初めての試みである。 精霊は人間のようにきちんと「脳」という物理的なところで記憶している訳ではない。 その記憶はそれぞれによって曖昧で、膨大なもの。 普通は殆ど不可能に近い。 ハク自身も自分の記憶は、千尋と関わった頃以前のものは曖昧になっている。 だが、その精霊が「元人間だった」というのであれば話は別。 記憶をたどる事が出来るかもしれない。 記憶の層は、モノトーンの色の層だった。 「……………」 他には何もない。ただ、白と黒に塗り分けられた世界があるだけ。 ――――精霊となって、かなりたつのか……。 この分では、記憶をたどってその「精霊の恋人」を探すのは難しいかもしれない。 それでも層を潜っていく。 何か手がかりがあるかもしれない。 ――――このまま、千尋に危害を加えられるような事があってはならないのだから。 突然ぱぁっと、色がハクの視界に飛び込んできた。 辺りはピンク色で染まっている。 それが桜の花の色である事に、ハクは暫く呆然とした後気がついた。 「……ここからが、人間の時の記憶か……」 しかし何処を見てもピンク色ばかり。 それだけ桜の花が満開だったというイメージが強いのだろう。 ―――――あ な た ・ ・ ・ ・ 精霊の声が響く。 そうしてハクの目の前に、何かが姿を現した。 黒髪の男性のように見える。 「あれが……精霊の恋人………?」 しかし精霊の記憶も曖昧なのか、その姿はぼやけていて良く分からない。 何か手がかりだけでもあれば。 目の前のその男は、こちらに向かって手をさしのべて来た。 ハクの視点はその精霊の視点であるから、こちらに手をさしのべてきているように見えるのだ。 記憶の中で、その精霊も手をのばす。 ――――――ず っ と い っ し ょ に ・・・・・ 一瞬、ふれあったその手が、離れていく。 「!」 花びらが、ハクを覆い尽くそうとしてくる。 視界を庇いながら目を向けると――――― 目の前の男性は、ヒトの姿を捨てて何かに変わっていた。 ――――――い か な い で ・ ・ ・ ・ ・ ! 精霊の――――女性の悲しみが胸を貫いてくる。 それに翻弄されないように自我を保つので精一杯。 視界が、ピンク色に染まる。 「っ………!」 あまりに襲いかかる桜の花びらに、ハクは思わず目を閉じた。 そのとたん――――あれだけ感じていた花びらの感触がふっと消えてしまった。 「………な、に…?」 次に目を開けると、そこは再びモノトーンの世界だった。 しかし最初に見たモノトーンの世界とは少し違う。 花びらが、桜の樹がそこにあるのに―――世界の色は全てモノトーン。 目に痛いほど溢れかえっていたピンク色は何処にもない。 「………そうか」 あの男に、捨てられたのか。 そして、そのショックで色が消えた――――と。 女はうちひしがれた様子で桜の樹にもたれている。 なぜ、という声がハクの耳にも聞こえて来た。 捨てられたという事実がどうしても受け入れられない。 女は何も見ていなかった。 目の前の桜も、何も。 ――――イッショニ イタイ ダケ ナノニ…… 女の躯が、透けていく。 ――――取り込まれているのだ。 逃げようと思えば逃げられる。 しかし女は拒もうとしなかった。 ぱぁっと、光がはじけた――――― |