桜の幻影
その5
はっと気がつくと、ハクは木の幹から手を離していた。 だからこそそれ以上精霊に引きずられずにこちらに戻ってくる事が出来たのだ。 ―――――オオオオオオ…… ハクが記憶を探る事で木の精霊の記憶も戻りかけているようだ。 声にならない想いが、空気を震わせている。 行き場のない想いであふれそうになっている。 「―――――そなたを人間に戻す事は私でも出来ない。例え全能神というものがいたとしても、不可能だろう」 だが。 「だが…想いを伝える事は出来るかもしれない」 ハクは千尋に振り返った。 「千尋……暫く待っておいで」 ――――どうするの? ハク…… 「……心当たりがある」 そう告げたハクの表情は、何処か迷いがあるような――――複雑な色をたたえていた。 あの風景。 桜が舞い散る、あの風景。 何処までも続くピンク色の情景。 それまでは気がつきもしなかったが、あの目に痛いほどのピンク色に何処か覚えがあった。 「――――なつかしい…?」 今の自分の気持ちを言葉にしてみて、ハクは驚いていた。 そう、懐かしい。 あの色を自分は懐かしく感じている。 千尋と出会う前の記憶は殆ど残っていない。 川の主としての自分を失ってしまった時に、湯婆婆に名をとられた時に殆どの記憶を失った。 思い出せたのは千尋の存在と自分の名前だけ。 「もしかして……」 自分が関わっていたのではないか? この精霊と。 ―――――ばかな。 そう否定しても心の奥底から蘇る「懐かしい」という感情までは否定出来ない。 なくしてしまった自分の記憶。 その中に全てがある―――――― ハクは無意識にそう感じ取っていた。 |