桜の幻影
その6











「………翁」

ハクの呼びかけに、その川の水面が膨れあがる。

――――――そして。



ザァアアアア…と水しぶきをあげて、白い竜が姿を現した。

ハクよりも数倍大きく、貫禄のある白い竜。

ハクはその竜を「翁」と呼んだ。

「……ここにそなたが来るとは、珍しいの」

白い竜はその首をもたげ、ハクにそう話しかけた。

「翁に、聞きたい事があるのです。あなたならば………きっと良い知恵を授けてくれるだろうと思いまして」

そしてハクは全てを話した。

桜の精に千尋が魅入られたこと。

その桜の精は元々人間の娘で、桜に取り込まれてしまっていること。

その記憶に自分自身も何処か覚えがあること。

その言葉を白い竜――――翁は黙って聞いていた。

「…………そうか…」



記憶。

曖昧な、過去の幻影。

同じ事柄であっても、その人が何に興味があったかによって、記憶は全く異なるものとなる。

一番曖昧で、それでいてその人にとっては一番確かなもの。



「――――ハクよ。そなたの記憶に全ての答があるのじゃろう」

「……翁もそう思われますか」

自分の記憶を探れば何かわかるかもしれない。

千尋と出会う以前の記憶。

そこに答がある。

「我が川と一体になり、そこで自らを探ると良い」

翁の申し出にハクは頷いた。

自分本来の姿――――竜の姿に戻り、自らの内面を探る。

それには自分の性質と最も近い状態に身を置く必要がある。

「ただ心配なのは、千尋のことですが………」

あのまま千尋を放っておいて良いものだろうか。

千尋はきっとあの桜の樹の下でずっと待っている筈だ。

桜の樹の精霊は、あの桜からは遠く離れられないだろうだから。

「あの娘のことは、わしが何とかしよう………」

翁はその巨体をもたげると、川のほうへとハクをいざなった。

ハクは頷き――――川へ向かって歩き出した。














たゆたう水のなかは、心地よい。

人が水の中を心地よいと思うのは、胎内にいた頃の記憶があるからだという。

ならば生まれた時から川そのものだったハクが心地よいと思うのも、その時の記憶があるからだろう。

ハク自身が憶えていなくても。



ぱしゃん……と水がはねる。


その音が、水の中でたゆたっていたハクの意識を呼び戻した。






水の中で、ハクは目を覚ました。

同化していた意識が、急速に「ハク」という実体を取り戻していく。

そうして――――彼は上を、水面を見上げた。


――――行かなくては。

言葉でなく、彼はそう感じていた。

行って、終わらせなければ。











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