記憶の向こうに






街を抜け、広々と広がる草原に立つ。
その向こうに、現実との境目である時計台が見える。


ここで、私は千尋の手を離した
約束を残して
彼女は、私を覚えているだろうか
逢えるという喜びと覚えていないかもしれないという不安が、動悸を激しくする


千尋―――――今いくから。
約束は守るよ、千尋。



私は一歩一歩歩き出した。
約束を守るため。


大切なものを手にするため








トンネルをくぐると――――そこは私にとって懐かしいところだった。
存在出来なくなったとはいえ、この世界は私の生まれた場所。
私の故郷でもあるのだ。


光のまぶしさに目を細めながらトンネルから一歩外に出た私は――――心臓がはねるような衝撃を受けて立ち止まった。
トンネルの前に、1人の少女が立っている。
頭を抑えて苦しそうにしている。

いや、それに驚いたのではない。


「―――ち、ひろ‥‥」
紛れもない。

千尋だ。

千尋がいる。

あの時よりも背がのびて

見違えるように成長しているけれど

紛れもなく、千尋。

かすかに感じる魔力は、きっと銭婆が渡した髪留めの魔力だろう。


千尋の体から、不意に力が抜ける。
崩れ落ちる――――そのまま、千尋が消えてしまう。


そう思った瞬間、私は駆けだして千尋の体を支えていた。



千尋―――愛しい千尋
私のそばから―――離れていくな‥!





ともすれば強く抱きしめてしまいそうになるのを必死で押さえ、私は千尋の様子が落ち着くのをじっと待っていた。

ふと、もぞもぞと千尋が動いたのに気がつき、私は手をゆるめた。


「あの、すみません、ありがとうございます――――」


千尋が顔をあげる。
私と目が合う。


体に―――電撃のような衝撃が走る。



――――ようやくあえた!!


言葉にならない感情が伝わってくる
逢えた
逢えた―――ようやく

はじかれたようにしがみついてくる千尋を、私は今度こそ強く抱きしめた。



「――――ようやく逢えた」


私は顔をあげた千尋の額にこつん‥‥と自分の額を合わせた。
千尋の瞳が潤んでいる。


「千尋‥‥千尋‥‥私の名を、呼んで。あの時のように―――私の名を」


名前を呼んで

私の名を

本当の名を

あの時のように

私を取り戻してくれたように



それが契約

私を千尋の元に縛り付ける、言霊の力

二度と離れないように

二度とこの手を離さないように




「――――ハク‥‥琥珀‥主」


私は千尋をさきほどよりも強く――――抱きしめた。



名は呪縛

その存在を縛り、手にするための言霊


千尋
あの世界で、自分の名も存在も何もかも忘れていた私が、たった一つ覚えていた名前


琥珀川
千尋が覚えていた、今はもう存在も忘れられた名前



お互いがお互いに引き寄せられ

こうして出会った

どんなに離れていても

どんなに時が流れても




「千尋―――――?」
ふと気づくと、千尋は腕の中で意識を失っていた。


一気に思い出したせいで、精神が疲労してしまったのだろう。
私は千尋をそっと木の葉で敷き詰められた大地に横たえた。


唇が乾いている―――のどが渇いているのかもしれない。
目を覚ました時に、水をほしがるだろう。


私はとん‥と大地を蹴って、近くにある清水へと、飛んでいった。