招かれざる客たち
その2
270000キリ番作品
一方その頃。 「………!?」 帳簿を書いていたハクがはっと顔を上げる。 「いかがなされました、ハクさま」 兄役の声も耳に入らない様子で、ハクは何かを探るように宙を見据えたまま。 「ハクさま?」 「……ここは頼む。私は、用が出来た」 返事も待たず、ハクは立ち上がって足早にその場を去っていく。 「………まぁいつもの事だ」 ハクの奇怪な行動は今始まったことではない。 兄役はそう結論づけて、今までハクが書いていた帳簿の続きを書き始めた。 「千尋!!」 風呂を掃除していた千尋は、ハクの切羽つまった声に振り返った。 「どうしたの、ハク?」 湯屋のなかではけじめをつけて千と呼ぶのだが、それを気にする余裕もないらしい。 「来てくれ。私の感覚が正しければ―――湯婆婆に気づかれたらまずい」 「え?」 千尋の戸惑いも気にする事なく、ハクは強引に千尋の腕を掴んで歩き出した。 「何があったの、ハク!」 湯屋の玄関を出たところで、ハクはようやく振り返った。 「………店のなかでは湯婆婆の力が働いているからうかつな事が喋れないんだ」 「湯婆婆に聞かれたらまずいこと?」 ハクは頷いて、また再び歩き出した。 千尋もそれを追うように歩き出す。 「誰かが、侵入した。この感覚は人間だ」 「人間……!?」 思わず驚いて足を止めると、やや行きすぎたところでハクが足を止めて振り返った。 「……おそらく、千尋の知っている者だと思う。かすかだが、その者たちから千尋の残留思念を感じた」 「私の知っている人……」 嫌な予感がする。 「……もしそうだったら、まずいよね」 「凄くまずいね」 湯婆婆に見つかれば、まず豚は免れない。 「先に見つけて何とか帰すしかない」 「うん!」 そして千尋とハクは再び走り出したのだった。 「わ〜〜ここ、商店街なんだ! 雪奈、おなかすいちゃった……」 散々歩き回った後で見つけた商店街は寂れてはいたが、どこからともなく漂ってくる良い香りが安心感を与えていた。 「店が開いてるんだな……何か食ってくか?」 「……そうね。歩き回って疲れちゃったし……」 「ねーねーここのお店、あいてるよ!」 雪奈は早速匂いの元を見つけたらしく、麻衣子と覚を呼んでいる。 「素早いなぁ」 そんな事を言いつつ近寄っていく麻衣子と覚を尻目に、雪奈は早速美味しそうな鶏肉を一つ手にとった。 「ちょっとだけ、味見……」 「だめっ、雪奈!!! それを食べたら戻れなくなっちゃうよ!!」 いきなり聞こえてきた声に雪奈はびっくりし、手に持った鶏肉を落としてしまった。 「よ、よかった……間に合ったみたい」 そこには、赤い水干に身を包んだ千尋と―――白い水干に身を包んだ少年(もう青年といってもいい年頃にも見える)が立っていた。 「ちーちゃん!!」 「千尋!!」 「荻野!!」 三人の声が、青い空に響き渡った。 名を取り戻したハクは、湯屋を出れば湯婆婆に匹敵するまでの力を取り戻していた。 だから、湯屋から少し離れたところであれば、湯婆婆の感覚を誤魔化すための結界を張る事も出来る。 そこで千尋はかいつまんで三人に説明をした。 「……だから、ここに来たらまずいの。今はまだいいけど……もし見つかったら豚にされてしまうわ」 「いきなりそんな事言われてもなぁ……」 一番の現実主義者である覚は、どうにも信じられないらしく渋い顔をしている。 「信じる信じないはとりあえず帰ってから! もうちょっとしたら日が暮れるから……そしたら逃げられなくなっちゃう」 「……そんなに、まずい状況?」 麻衣子は実際に体験すると信じるタイプらしく、不安げな面持ちを隠せない。 「うん……湯婆婆に見つかったら問答無用で豚にして食べられちゃう……」 そして雪奈は、というと。 「………カッコイイ……」 さっきからハクに視線釘付けであった。 「………!」 ふっとハクが上空を見上げる。 「まずい……いつもよりも時間が早い。気づかれたのかもしれない」 「え!?」 ハクの焦った様子に千尋の声もうわずる。 「……銭婆のところに行こう。そこで今夜はかくまって貰った方がいい」 「う、うん」 「私が連れていってくる。千尋は誤魔化しておいて」 「分かったわ」 結界を解くなり、ハクはそのまま竜の姿へと変化した。 「―――――――っっ…!!」 覚が呆然として硬直するのを見てとって、麻衣子が覚の背中をばしん、と叩く。 「びっくりしてる場合じゃないわよ、行くわよ!!」 それからさっきからハクの方を見て目をハートマークにしている雪奈の腕を麻衣子が引っ張った。 「いたた、いたいよまいちゃんっ」 「せっかく千尋が助けてくれるんだから、行くの!」 「引っ張らないでー!」 大騒ぎしながらも何とか背に乗り、去っていくその姿を見送る。 それから千尋は、うんと頷いて自分に気合いを入れた。 「――――よしっ。頑張らなきゃ!」 そしてきびすを返すと、千尋は湯屋の方へと走り出したのだった。 店が開いてからややして。 「千」 休憩時間という事で遅い昼ご飯を食べていた千尋は、ハクの声に振り返った。 「少し話がある」 きっと麻衣子たちの事だろう―――――千尋はそう思い、「はい」と返事を返して立ち上がった。 「湯婆婆と話をした。銭婆と坊も力添えをしてくれたから……何とかなったよ」 つまり、三人はこの世界から無事に戻れるという事だ。 「良かったぁ……私のせいで三人が豚になったりしたらどうしようと思った……」 「どうやら千尋がこの世界にとどまるようになった事で、この世界の理が少しずつ変わってきてるようだ。明日戻るならば、大丈夫の筈……と銭婆が言っていたよ」 「私のせいで……?」 千尋は首を傾げるばかり。 だがハクには何となく理が変わってきた理由が分かっていた。 ―――千尋が自分の名だけでなく私の名も取り戻してくれた事で……この世界自体が変わろうとしているんだ。 「それで、明日千尋と一緒に戻った方がいいと銭婆が言っていたから、明日の朝には連れて戻ってくる」 「うん。責任持って連れて帰ります」 とん、と千尋が胸を叩くと、ハクは微笑みを浮かべた。 「それじゃまた後で。私も仕事が残ってるから」 「ごめんねハク。大変な仕事を押しつけてしまって」 「千尋のためだから何ともない、大丈夫だよ。それじゃあね」 さらりと告げられた言葉に頬を赤くする千尋を後に、ハクは風のように去っていった。 後に残った千尋は、呆然と立ちつくすばかり。 「――――な、何でハクってああいう事をさらりと言うかな……」 「………赤い」 すぐ隣から聞こえてきた声にぎょっと振り返ると、そこにはリンが立っていた。 「り、リンさん……?」 「相変わらずお熱いこって」 「もうっ、からかわないでよっ」 「からかうも何も、ホントの事じゃん」 「も〜〜!!」 湯屋の高い天井に、リンと千尋の声が響きわたった。 |