神の花嫁
〜Sacrifice〜
その6
次の日。 「千」 仕事場である湯殿に向かっていた千尋を呼び止めたのは、坊だった。 巨大な赤ん坊だった坊は、今はほぼ千尋と同じサイズになっており、見たところ小学4年生程度にまで成長している。 まだまだ可愛らしいという表現の方が似合うが、成長すれば結構かっこよくなるのではなかろうか。 坊と再会した時の千尋の最初の印象は、それだった。 「なあに?」 「千に、話があるんだ」 湯婆婆は坊と千尋が仲良くするのを快く思っていない。 千尋自身も「坊が行っても相手にするな」とクギを刺されていたし、坊もそう言われているはずだ。 しかし―――――恋心は止められないものらしい。 坊が千尋に恋をしているというのは、油屋では有名な話である。 「これから仕事なんだけど‥‥」 「大事な話」 いつになく真剣な顔で訴えてくる坊に、千尋は仕方なく頷いた。 「わかった‥‥ちょっとだけね」 千尋は歩き出した坊について、とことこと廊下を歩いていった。 入り組んだ廊下を歩いていくうち、従業員のあまり通らない倉庫へとたどり着いてしまった。 「坊‥‥‥何処まで行くの?」 いい加減に苛々してきた千尋が声をかけると、坊はぴた、と動きをとめた。 そのまま一言も発しない。 「‥‥‥坊?」 千尋がのぞき込む。 「!」 坊はいきなり千尋の腕を掴んで来た。 「なっ‥なに、坊!?」 「千。坊と結婚しろ」 ――――――は? 「え‥‥ええええ!? 結婚!?」 「坊と結婚しろ。今すぐ」 「ち‥‥ちょっと待って、坊! い、一体どうしたの?」 「千、坊の事嫌いか?」 「好きとか嫌いとかそういうのじゃなくて‥‥」 千尋は狼狽し、頬に手を当ててただただ坊を見つめるばかり。 一瞬花嫁姿の自分の隣に、目の前の坊が立っているのを想像しかけて、慌てて首をぶんぶんと横に振る。 「嫌いじゃなかったら、結婚してもいいはずだ」 「だーかーらー! 一体どうしたの坊! いきなりそんな事言われたって、私困るよ!?」 坊は千尋の腕を掴む手に力をこめた。 子供とはいえど、あの湯婆婆の息子。 遙かに強い力に、千尋は顔をしかめた。 「い、痛いっ‥‥坊、痛いってば‥‥」 「坊と結婚すると言うまで離さない」 「坊ってばっ! いきなり結婚なんて出来る訳ないよ! もっと考える時間とかないと‥‥無理だよ」 言いつつ、千尋は胸の動悸が高鳴るのを感じていた。 さっきの想像の続きで、花嫁姿の自分の隣に立つもう一人の相手を想像してしまったのだ。 頬を赤らめる千尋に、坊の表情が険しくなった。 「―――――ハクはダメだぞ。ハクだけは、絶対にダメだ!!」 いきなりその名をいわれ、ますます千尋の頬が赤くなる。 「なっ‥‥な、なんでっ。あ、あの人は‥‥わ、私は別に‥‥‥」 「ダメだ。ハクと一緒になるのだけは、絶対に許さないからな!!」 頭ごなしな言い方に、今度はムッとして千尋は坊の腕を無理矢理振り払った。 「それは私が決める! 坊に決めて貰う事じゃないよ!!」 激情なまま怒鳴りつけて――――千尋ははっと口をおさえた。 坊は、目に涙をためてじっと千尋を見上げていた。 ――――そんなに、きつい言い方したかな‥‥。 そのとたんにわき上がってくる後悔の念に押されて、千尋は慌てて口調を和らげた。 「その‥‥坊。坊が嫌いなんじゃなくて‥‥わ、私、いきなりすぎてびっくりしただけなの。怒った訳じゃないんだよ?」 「‥‥わかってる」 坊は視線を逸らして――――ぽろっと涙をこぼした。 いつもの泣き方と違う。 これは、堪えきれず流れ落ちる涙。 一体、坊は何にそれほどまでに耐えているのか。 「‥‥‥千」 坊はしゃくり上げながら、千を見上げた。 「坊は‥‥千を失いたくない。ハクと一緒になる事で千が幸せになるんなら、それでもいい。それで千が笑ってくれるんなら、千と一緒にいられなくても坊は我慢出来る。‥‥でも」 「‥‥でも?」 何かを言いかけた坊は、口をつぐんだ。 「‥‥千、ハクと一緒にいちゃダメだ。絶対に、絶対にダメだからな!!!」 それだけ叫ぶと、坊はそのまま走り去っていってしまった。 「坊!!!」 どうして? どうして坊が泣くの? その涙の訳を問う事も出来ず、千尋はただ立ちつくしていた。 |