神の花嫁
〜Sacrifice〜
その13
湯婆婆の部屋に飛び込んだ千尋に、湯婆婆は驚いた様子もなく彼女を出迎えた。 「そろそろくると思っていたよ」 「ハァ‥ハァ‥‥お、おばぁちゃんっ‥‥わ、私の記憶を取り戻したいのっ‥‥お願い‥」 おばあちゃん、という言葉に湯婆婆は眉をひそめたが何も言わなかった。 「おまえの記憶を取り戻すのはハクの試練だったはずだったがねぇ?」 「このままじゃ‥‥ハクが、ハクが死んじゃう!!」 涙を拭おうともせずに訴える千尋に情を動かされたのか、湯婆婆は苦笑した。 「別におまえが取り戻すというならばそれもかまわないけどね。けどここには記憶はないよ」 湯婆婆は手のひらを上に向けた。 その上にぼぅっ‥と空間が生まれ――――どこかの切り立った崖が映し出される。 「‥‥‥!?」 崖をずっと降りていった中腹あたりの窪みが、青白く光っている。 光を放っていたのは―――――青い石だった。 「その光を放つ石の中に、おまえの記憶を封じ込めてある。ハクならすぐに見つかるし取りにいけるだろうが‥‥おまえに行けるかねぇ? ここは世界の果てのまだ向こうだよ。電車だって通ってないところだ」 「‥‥‥‥‥‥」 千尋はぐっと拳を握りしめた。 歩いていったらきっと一週間ではつかない。 それこそ一ヶ月以上かかるところに違いない。 そんなに時間をかけていたらハクは自ら命を絶ってしまう。 「坊が連れていく」 そう言い出したのは、ずっと話を聞いていたらしい坊だった。 「バーバほどじゃないけど、坊だって少しくらい魔法使える。坊が、千を送ってやる」 「坊!」 湯婆婆の言葉には耳を貸さず、坊は千尋に手を差し出した。 「‥‥千が、ハクの所に行くのを望んでるんだったら‥‥それを手伝ってやる」 それで、千が笑ってくれるんなら。 千が幸せだって思えるんだったら―――――それでいい。 それが、坊の出した結論だった。 「坊‥‥‥」 千尋はにじんでいた涙をぬぐって、そっと坊の手をとった。 「坊‥‥お願い! 私を世界の果てまで送って!」 湯婆婆がとめるよりも早く、坊は呪文を唱え。 その姿はかき消えていた。 「‥‥ここが世界の果て」 千尋が坊とともに降り立った土地は、緑も生き物の気配も何もない、荒れ果てた大地だった。 かすかに気配を感じる。 きっとそれが自分の記憶だ―――――千尋はそう確信していた。 その気配は、少し大地を下ったあたりから感じられている。 「‥‥生き物が住めない土地なんだってのは、バーバから聞いたことがある‥‥」 そう答えた坊が、がっくりと膝をついた。 「坊!?」 あわててその体を支えると、坊は千尋の腕を優しく振り払った。 「大丈夫‥‥‥ちょっと、疲れただけ」 たぶん、ここまで千尋を運ぶのに相当の力を費やしたのだろう。 坊の顔色は真っ青になっていた。 「‥‥坊は待ってて。私、行って来るから」 「千ひとりで!? 危険だぞ、ここは生き物はいないけど、亡霊が潜むっていう噂はあるんだぞ!?」 「平気! すぐに戻ってくるから!!」 千尋は坊に手を振ると、そのまま大地を下っていった。 「‥‥千‥‥‥」 すぐにでも追いかけたいと気持ちははやるが、体がついていかない。 まだ子供の坊の体に、空間移動の術は思った以上の負担をかけているらしい。 立ち上がることをあきらめ、坊は出来るだけ早く体力回復させるほうに努めることにし、その場に座り込むと目を閉じた。 大地を下るように歩いて少したつと、前方に大きな亀裂が見えてきた。 向こう側は少なくとも100メートルほどは先で、右左を見渡してもその幅の亀裂がずっと続いている。 そして千尋はこの下から気配を感じていた。 「ここ‥‥」 下からあがってくる風に髪がなぶられる。 底を見ようにも数キロ以上の深さがあるらしく、真っ暗で見えない。 ―――――大丈夫。怖くない‥‥‥がんばれば、出来る! そう自分を勇気づけ、千尋は出っ張りを探しながら少しずつ壁を降りていった。 |