神の花嫁
Sacrifice〜
その14










ハクは大地を一望出来る丘の上に立っていた。

「‥‥こんな幕引きになるとはね」

自嘲するように微笑み、目を閉じる。



気になるのは、自分がいなくなった後の千尋のこと。

―――しかし坊が千尋を気に入っている以上は、湯婆婆も彼女を邪険に扱えないはずだ。

後は坊に任せよう。


そう考えることで自分を納得させ、すっ‥と手の中に光の剣を作り出す。

神の末裔とはいえエネルギー体の結晶であるこの剣で急所を貫ければ生きることは出来ない。

その切っ先を自分に向け―――胸すれすれのところにぴたりと当てる。

後は、この剣を押し当てるだけ。




「――――ハク竜」

その呼びかけにも、ハクは目を開けなかった。

「‥‥止めても無駄です、銭婆。私がこうすることでしか‥‥千尋を救うことは出来ないのですから」

ハクの目の前に、体の透けた銭婆が立っている。

「‥‥今千尋がどうしてるかを知りたくはない?」

予想していたことと違う問いかけに、ハクは目を開けて銭婆を見つめた。

「千尋は‥‥今眠っているはず‥‥」

「あの子は世界の果てにいるよ」

その言葉に、ハクの手から剣が落ちた。

「‥‥果て、に‥‥!?」




生きる者は立ち入れない亡霊が住まうという世界の果て。

その向こうに桃源郷があるという噂もあるにはあるが、行く者がいないために噂でしかない。





「妹があそこにあの子の記憶を隠したらしいんだよ。それを取り戻しに向かってる」

「ばかな‥‥! あそこは術者でも生きて戻れるかわからない所なのに‥‥千尋のようなふつうの人間が行ったら‥‥」

銭婆が頷いた。

「ハク竜‥‥‥私が言ったことを覚えていますか?」

その言葉は、ハクという少年に向けたものではない。

ニギハヤミコハクヌシという、神に向けての言葉。

「あの娘をしっかり守ってやってほしいと。私はそうあなたに言ったはずです」



どうして命を食われるとわかっていて、神を愛するのか。

「あの娘は、本当にあなたのことを大切に思っている。ただそれだけ。命がどうとか、周りがどうとかそんなことは考えてないの。ただ、あなたが大切――――それが今のあの娘を動かしている」


それを誰よりもよく知っていたのは、あなたのはずではなかったか?

問われてハクは何も言い返せなかった。




10歳の夏。

傷ついたハクを助けるために自らの危険も省みずに飛び込んだ千尋。

わかっていたはずではないか。

千尋は自分でそうしようと思わず、無意識に「自らを捧げる」娘だと。

だからこそ、銭婆はハクに言ったのだ。

「この娘を守れ」と。



「しかし‥‥しかし‥‥」

ハクはかぶりを振った。

「私が‥‥私がいては、千尋の命が‥‥」

「わかっています。でもこのまま放っておけば、あの娘は確実に亡霊に殺されてしまうでしょう。それでもあなたは千尋を放っておくと?」

「‥‥‥‥‥!」



どのくらい時間が過ぎたろう。


風がざぁぁぁっ‥‥と髪をなぶっていく。



「‥‥果て、ですね?」

ハクは銭婆に確認すると、そのまま白い竜に姿を変えて空に身を躍らせた。




――――誰が悪い訳でもない。

ただ

出会った相手が神であり、人間であっただけ。

なのにどうして。


銭婆は答えの出ない問いを人しれず呟いた。









千尋は慎重に一歩ずつ下に降りていた。

ハクから分けられた精気が少しずつ失われていく―――が、それはまだハクが生きている証拠。

力が抜けて下に落ちてしまわないように。

足を踏み外さないように。

それだけを注意して、少しずつ降りていく。

「‥‥あ‥?」

下から青白い光が漏れてくるのが見えて来た。

きっと、あれが湯婆婆が見せてくれた「記憶」が封じ込められた石だ。

はやる気持ちを抑えて、少しずつ降りていく。




やがて

千尋は岩の窪みで息をするように点滅している石にまでたどり着いた。


「これが‥‥‥私の記憶‥‥‥」



それをそっと手にとる。

ふれたところから温かみが伝わってくる。





―――――水。

優しい水の流れが自分が取り巻く。

そして今も感じている、優しい流れ。



「‥‥‥‥ハク‥‥」




記憶にとらわれている千尋の周りに、影が集まる。

「‥‥!?」

はっとその影に気がついた千尋は、身をすくめ――――慌ててその場から逃げようと足を別の岩場に乗せた。

千尋の体重を支えられるはずのその岩場が、もろく崩れ落ちる。


「っ‥‥きゃ‥‥!!」



片手が辛うじて出っ張りに引っかかる。

その手に影――――悪しき亡霊たちが集まって来た。

千尋を自らの仲間に引き入れようとするが如く。



「‥‥ぅ‥‥っ‥‥」

華奢な千尋が、片手だけで自分の体を支えられるはずもなかった。




「きゃ―――――!!」


指が離れ

千尋の体は宙に投げ出された。