神の花嫁
〜Sacrifice〜
その18
どのくらい時が過ぎたのか ハクは体を支える柔らかい感触にふ‥と目をあけた。 身を起こすと―――そこはベッドの上だった。 どうやら湯婆婆の部屋にあるベッドに寝かされていたらしい。 「‥‥‥千尋?」 体が重い。 暫くすれば慣れるだろうが‥‥自分の半分がもぎ取られたような、そんな感じがする。 「ああ、目が覚めたかい?」 ハクの気配に気がついたのか、銭婆が入って来た。 「暫くは体が重くて違和感が続くだろうけど我慢おし」 「千尋は‥‥」 銭婆が視線ですっと示す。 おそらく坊のためのベッドだろう。 そのベッドに千尋が寝かされていた。 「千尋!!」 慌てて駆け寄り、千尋の口元に手をかざす。 息が手の平にあたる。 息をしている。 「千尋‥‥‥」 安堵のあまり、ハクはそのままベッドにしがみつくように崩れ落ちた。 生きている。 生きていてさえすれば後はもう何も望まない。 いずれ千尋が背負うであろう罪も、全て自分が背負うから。 だから―――― 「‥‥ん」 千尋がかすかにうめいて、うっすらと目を開けた。 再会した時のことを思い出し、ハクはおずおずと千尋をのぞき込んだ。 視線が合う。 「‥‥‥‥ハク‥?」 千尋がハクの名を呼んだ。 今度は、記憶は失われてはいない。 ちゃんと、ハクのことを覚えている。 「わたし‥‥どうしちゃったの?」 「‥‥色々とあったんだよ。とにかく‥‥今はお休み」 ハクが髪を撫でると、千尋はこっくりと頷いた。 「うん‥‥まだ眠いから‥‥ちょっと休むね‥‥」 やがて目を閉じた千尋は、すーすーと規則正しい寝息を立て始めた。 「‥‥とりあえずは大丈夫だろうね」 銭婆の言葉にハクは頷いた。 「‥‥はい‥‥本当に良かった‥‥‥」 「でも安堵するのはまだ早いよ。‥‥大変なのはこれからなんだからね」 銭婆はハクを手招きすると、湯婆婆の執務室のほうへと歩いていく。 その後をついて、ハクも歩き出した。 次に千尋が目覚めると。 ハクがベッドに突っ伏して眠っているのが見えた。 千尋が微かに身じろぎしても全く気がつかないほどにぐっすりと眠り込んでいる。 ‥‥体が疲れてるんだ、きっと。 ちょっと見ただけでそれが理解出来て、千尋は「なんでだろ?」と小首を傾げた。 それはともかく、このままハクをほっといたらきっと風邪をひいてしまう。 「‥‥ハク‥‥風邪ひくよ‥‥」 身を起こして揺さぶると、ハクはようやく目を覚まして頭を軽く振って身を起こした。 「あ‥‥私は‥眠っていたのか」 「うん‥‥ぐっすりと眠ってたよ。疲れてるんじゃない?」 さっきまで千尋が使っていた枕を取り、ハクは千尋の背中にそれを当てた。 「ありがと‥‥」 寝乱れた千尋の髪にハクは指を通して手で優しく梳いていく。 「‥‥そんなに髪をぐしゃぐしゃかなぁ‥‥」 「仕方ないよ‥‥今まで寝ていたんだからね」 ハクをじーっと見ているうち、少しずつ今までの記憶が戻ってくる。 「‥ねぇハク‥‥私、果てにいたんだよね? それで‥‥気を失ってしまったはずなんだけど‥‥」 まさか自分が死んでいたなどと思いも寄らない千尋は、不思議そうにハクを見つめた。 「‥‥‥千尋は一時死んでいたんだよ」 「ふーん、死んでた‥‥って死んでたの!!?」 慌ててぺたぺたと自分の体を触ってみるが、全く異常は見られない。 「体に異常はないよ。‥‥怪我をしていた訳ではなかったのだし」 そう告げるハクは、何か言いにくそうに口ごもっている。 「‥‥どうやって、私生き返ったの? それに‥‥もし生き返ったとしても、その」 千尋はちょっと言葉を区切り、それから思い切って口をひらいた。 「‥‥‥ハクの力が、私の命を奪っていくんじゃなかったの?」 ハクが機嫌を悪くしないかと上目遣いに伺う。 「そう。確かにその通りだよ‥‥そのことで、千尋に伝えないといけないことがあるんだ」 まるで刑を宣告する裁判官のような口調で、ハクはじっと千尋を見据えた。 ハクが私の命を奪っていると聞かされた時みたい。 凄く、ハクが緊張しているのがわかる。 どきどきする胸を押さえつつ、千尋はハクの次の言葉を待った。 「もう、千尋の命を食らうことはないよ。私の魂を千尋に分けたから」 「分けた‥‥? え? ええ?」 「私の魂を半分にわけて、千尋の魂と融合させたんだ。つまり‥‥今の千尋の中に半分私の力が存在するとでも思ってくれればいいよ」 「え、でも、でもそしたら‥‥今のハクって」 半分だけ? という言葉にハクは耐えきれないようにくすくす笑い出した。 千尋の反応がおもしろかったのだろう。 なぜか千尋にもそれがわかる。 「‥‥ハク、面白がってる場合じゃないよっ。ちゃんと説明してよね!」 「ごめんごめん‥‥」 ひとしきり笑ってから、ハクは真顔に戻った。 「それより千尋、どうして私の感情がわかったのかな?」 「え?」 逆に問われて、うーんと考え込むもその答えは千尋の中からは生まれてこない。 暫く考えて、千尋はあっさりと白旗をあげた。 「‥‥‥わかんない」 「千尋の魂を半分貰ってるからだよ。私たちは互いの魂を半分ずつ持っているんだ」 「‥‥あ、あ、あたしのぉぉっ!?」 ぼんっと真っ赤になった千尋は、その感情がダイレクトにハクに伝わっていることを感じてますます赤くなった。 「つ、つまり‥‥私の中にもハクがいるし、ハクの中にも私がいる‥‥ってことなの?」 「そういうことになるね」 「うわわわ、ハク、今の私が何感じてるかもわかるのっ!?」 「うん。‥‥今の千尋、ずいぶんと焦ってるよね。恥ずかしいとも感じてる」 ずばり言い当てられて、千尋は慌てて布団をかぶった。 「きゃ〜〜〜!!!」 布団をかぶったところで、ハクに伝わるのを止められはしないのだが。 暫くじたばたしていた千尋だが、やがて覚悟を決めてそっと頭だけ布団から出して―――ハクの様子をうかがった。 「‥‥話の続きを聞く準備は出来た?」 千尋が覚悟を決めたのもハクには伝わっていたらしく、ハクはにこにこ微笑んで千尋を見つめていた。 「今は儀式を終えたぱかりだからダイレクトに伝わるけど、慣れればそんなには伝わらなくなると銭婆が言っていたよ」 「え‥‥あ、そ、そうなの‥‥」 安堵した千尋は―――ハクがふっと緊張するのを感じて視線を向けた。 「どうしたの? なんか緊張してる‥‥」 「あ‥‥うん」 ハクが緊張しているのが伝わって来て、心臓がドキドキする。 互いの感情が伝わりすぎるのも考えものかもしれない。 そんなのんきなことを考えていた千尋は、ハクの言葉に「え?」ともう一度問い直した。 「だから‥‥私の魂を受け入れたために、千尋は半妖のようになってしまったんだ。‥‥もう、人間のように生きることは出来ない」 少なくとも、人間のように成長することはない。 千尋の両親が年老いてしまっても 千尋の同級生が老いても 千尋はずっとこの姿のまま、生き続ける。 「‥‥そう、なの」 さすがに千尋が動揺しているのがハクにも感じ取れた。 「‥‥こうするしか、千尋を助ける方法がなかった」 自分でも言い訳めいていると思いつつも、そう付け足さずにはいられなかった。 「わかってる。私がハクの立場だったら‥‥やっぱり同じことしたと思うから」 千尋は微笑んで、そっとハクの手をとった。 「ハクがそばにいてくれるんだったら、大丈夫だから。そんなに引け目に思わないでね‥‥」 「‥‥‥ありがとう」 互いの感情が手を握ることで伝わりすぎるほどに感じられてくる。 互いをこれほどまでに愛しく想ったことがあるだろうか。 |