神の花嫁
〜Sacrifice〜
その21
「千尋」 女部屋で眠っていた千尋を揺り動かす手。 優しく、それでいてしっかりと――――千尋を眠りから覚ます声。 「起きて、千尋」 千尋が目を開けて布団から顔を出すと―――――ハクがのぞき込んでいた。 「ハク‥‥‥今帰って来たの?」 「うん。‥‥‥起きられる?」 「大丈夫」 千尋は身を起こすと、枕元においていた水干を手にとった。 「ついて来て」 「?」 ハクが手招きする。 手招きされるままについて行くと――――ついに油屋の外にまで来てしまった。 「ねぇ、一体何処に行くの?」 さすがに声を荒げる千尋の目の前で――――ハクは竜になった。 「え‥‥乗ればいいの?」 ゆっくりと頷くハク竜に、千尋は仕方なくおそるおそるその背にまたがった。 千尋が乗ったのを確認して、ハクがふわりと舞い上がる。 空を駆け あの時計台を越え 「‥‥ハク‥!?」 ハクが何処に向かっているのかに気がつき、千尋は角をつかんだ。 現実世界。 千尋のいた世界。 そこにハクは向かっているのだ。 「‥‥いや、行きたくない。見たくないの。おろして!!」 自分を忘れてしまった人たちを見てどうしようというのか。 まだ癒えない傷が再び広がるだけ。 いくら千尋が他の人よりも精神的に強いとはいえど―――耐えられる事と耐えられない事とある。 「ハク!!」 千尋が暴れて落ちるのを恐れてか、ハクが森に舞い降りる。 人の姿に戻ったハクに、千尋は詰め寄った。 「どういう事!? 私のお父さんもお母さんも私の事覚えてないんでしょ!? 今更そんな姿見せてどうするの!?」 「落ち着いて、千尋」 「いやよ!! 見たくない‥‥そんな姿見たくない!!!」 空が白み始めている。 もうすぐ夜が明けるのだろう。 「いいから‥‥家に行ってみよう。私の口からは言えない‥‥‥自分の目で、確かめて」 頼む‥‥と千尋の肩をつかんでうなだれるように懇願するハクを見つめて―――千尋はため息をついた。 「‥‥わかった。行くだけ‥‥だよ」 見るだけなら‥‥いいかもしれない。 もう二度と見られない両親の姿なんだから―――――。 千尋はそう自分を納得させると、体が覚えている道をハクとともに歩きだした。 朝が来ると、あちこちの家から活気が伝わってきはじめる。 会社に行く父親 学校に行く子供 それを送り出す母親 今の千尋には懐かしくて――――二度と手の届かないもの。 胸をきゅ‥とおさえ、千尋は自分の家を見つめた。 「ご飯くらい食べてきなさいッ!!」 聞き覚えのある声に千尋ははっと身を乗り出した。 「そんな事したってダイエットにはなんないわよ! 朝はきちんと食べなきゃ!!」 お母さんの声だ。 そう―――よく寝坊して、朝ご飯抜いてったっけ。 「何でもっと早く起こしてくんないのよ―――!! ああ、もう朝練に間に合わないッ!!」 ――――え!? 千尋はその声に驚いて、口を押さえた。 「お母さん、朝ご飯いいっ! いってきまーす!!」 「あ、ちょっと待ちなさい、千尋っ!!」 ばたーん! と大きな音をたてて扉を開けて、鞄を抱えて走り出てくる。 制服姿の少女。 それは―――――千尋だった。 |